ショパンが好きだった
ショパンの作品を、素直な気持ちで聴く事ができなかった学生時代。
「ショパンって、ねちっこいから嫌い」
「ショパンの3番は精神性が高いからまだ弾けない」
「ショパンを聴かなきゃ寝られないくらい好き」
「ショパンって正解ないから難しい」
「ショパンのレッスンになると先生が厳しい」
「コンクールでは点が取れない」…
音楽大学のピアノ科に在籍していたので、それはそれはたくさんの「ショパン」が入ったセリフや、演奏を聴く機会があった。
それによって、
「そうかこれは確かに難しい曲だなあまだ怖い。」
「コンクール…どうせ出るのなら賞が欲しいなあ」
「この曲はあの子が最近弾いていたな、」
なんて自分の頭でも色々セリフが出てきてしまって、なかなか素直な気持ちで聴くことも弾くこともできなくなってしまっていた自分がいた。
今思えば、本当にどうでもいいことばかりで、もったいない話だけれど。
でもその頃のわたしはほんとうに、「同じことを頑張ってる人がすぐ近くに毎日居ない」環境を欲していた。
なにせ高校の時から実に9年間も、「ピアノ科」に身を置いていたのだから。
ショパンエチュード は、コンクールと受験で審査される、絶対弾けなきゃいけなくてみーんなが毎日頑張ってるもの。先生が厳しい目でみてくるもの。
そんな存在だった。
コンチェルトだって、マズルカ、ポロネーズ、ソナタ…ぜんぶにおいて他人の考えが、先に塗られてしまっていた。
だから私は、特に院生からは、まだ周りがあまり、論じるほど詳しくはないドビュッシーの世界にどんどん入っていった。
ドビュッシーは大好きな作曲家だからそれはそれで幸せだった。
でも、いざ実家に帰って周りに「ピアノ科」がいなくなってからは、本当に、初めて自分の価値観が見えた。
ドビュッシーはどうやっても好きだったけれど
散々弾いたラフマニノフは、実は自分は好きじゃなかった。
本質的な演奏をしてくれるピアニストのラフマニノフは、「土臭さ」があり、暗く渦巻く世界観もある。そんな演奏を聴くのは好きだけれど
私が楽譜をみて指を動かすとどうも、「メロドラマ」な部分が辛い。
好きじゃない。ごめん。
シューマンも散々弾いた時期があったけど、好きじゃない。シューマンのヌルヌルヌメヌメしたロマンチックな精神、こわい、、、
ごめん。私の実力が足りない。
素敵な演奏を聴くのは好き。
嫌いなものはもう良いとして、私が「これ、、無条件で好き」となってしまった作曲家は
バッハとショパン
だった…😱
ショパン。ショパン。まじか、しかもバッハ、ほんまか。
バッハなんて学生のときは
暗譜が怖いから嫌だったし
譜読みしてたら眠くなった。
あれれれー、と本気で不思議に思った
とにかく、「音楽学生」のときはたぶん、
音楽が聴こえていなかった
というか、
他の人がよく弾く曲は音楽として聴こえていなかった
😅
なんて情けない話。
たぶん、個人的な嫉妬とか、劣等感、その逆パターンの感情、そういうものから、私はとにかく逃げたかった。
自分の嫌な感情から逃げたかった。
嫉妬や劣等感や、人を蔑むような気持ち、そんなものがある人間はダメだと思っているから、
「私はこんな嫌な奴じゃない」って思いたかった。
そのために、「人気な曲、作曲家、ショパン」から逃げた。
(バッハは別かしらね)
でもそれだけ、音楽と接している自分はいつもピュアでありたいという気持ちの裏返しだと思っている。
だから、今まったく嫌な感じが浮かばないわけではないけれど、「ピアノの前だけは」「楽譜の前にいるときだけは」
素直に音楽を楽しんで、自分を高めてあげられるように頑張っている。
それに、「ピアニスト」たちとも、
「この曲やべえよな〜」って語り合いたいって思ってて
いま私が一番やりたいのは「ガチのショパン同好会」笑
好きだなあーて言い合うだけじゃなくて、名演を聴き比べたりテクニックについて研究したり、しっかりとオタクな会がしたいかも。
ピュア、だいじ…
ショパンがほんとうに好き。
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