音は経血だ
ショパンの《ピアノソナタ第2番》を毎日、お仕事の合間に少しずつ読んでいる。
ピアノのペダルと、自分の指先との関係はおもしろい。
ペダルは、自分が指に委ねたエネルギーに水分を与えてくれる。
それが綺麗なミネラルウォーターの時もあれば、ドロドロに腐ったジュースの時もあり、粘度や透明度はすべてのシーンによって違ってくる。
ショパンの音は…特にこのソナタ2番の「水分」は、おそらく「人間の血」だと思った。
3楽章の葬送行進曲を例に取れば、字面から想像しやすいが、こちらは
指を口でもなんでも、体内に少しずつ時間をかけて入れていき体液と触れる感覚を味わうようなタッチ。
重いものを持つと言うよりは、ドロドロとした血に触れるような感覚。(まあそんなシーン実際にはないけどね。)
ちょっと恐ろしいのが、これがたとえば、私の好きなプロコフィエフの作品だったら。
人を自分の手で、刃物で刺して、中身を取ってるときの感触…とか想像してしまうのだが。(彼は、それ相応の音を使ってきやがる…笑 そこが良い)
ショパンはそこまでの過激なグロテスクはきっと想像しない人だったと思う。
なにせ流暢に美しいパートも、中間部に設けているから。
この3楽章のうちはまだ、「人の死は絶望」ではなく、まだ優しさや美しさを残しておきたいのだと思う。
ただ問題なのが、4楽章
曲目解説…とアナリーゼ的に話すときっと半音階がどうだのユニゾンがどうで、となると思うが
もうこれはそんな専門用語を使う必要がない音楽に、完璧に仕上がっていると思う。
日々を頑張る女性の敵、一生向き合う苦しみは「生理」である。
私の生理期間が何かと言うと、「普段は隠れている感情が表に出てくる時期」である。
いつもなら「まあいいか」とやり過ごせ、好きな音楽やゆっくりとした入浴と睡眠で解消することのできるストレスが、
身体の方から「それはやり過ごさなくて良い」と、こちらは頼んでもいないのに言ってくることである。
この身体からの「頼んでない優しさ」により、ほぼ丸2日は屍のように過ごす。
目線がとにかく下がる。下腹部がずっと包丁で刺されている。
でもこのショパンの第4楽章、いやソナタ2番は、
抑えることが出来なかった感情を全て放り出すことによってようやく表現が始まるのだと、今日弾いてみて気づくことが出来た。
4楽章の奇妙なユニゾンは、やっぱり人の血だった。
特に、ドロドロとした経血だった
ここはどう弾けば効果的だろう?と冷静な頭で思考していくことはもちろん必要だけれど、
どれだけぐちゃぐちゃでも良いから、一旦は殴り書きでその曲を書いてみること。
鍵盤に乗せてみること。
そこからしか始まらないと改めて感じて…
これを誰かに聴いてもらうことができること。すごく楽しみになってきた
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