どう書くかじゃなく「なにを書くか」

このところの、わたし自身の大きな大きな、思考の行き詰まりについて、なんとなく書いてみます。

仮にも、「ピアノをお勉強する」学生として大学院を卒業しようとしているわたしですが
さて、自分はこの6年間の大学生活、いや幼少期からの音楽生活でどんな学びがあったかということを考えてみました
最近少しずつ注目している青柳いづみこさんの書籍から「ドビュッシー 想念のエクトプラズム」


この中にもあった言葉、そしてわたしが尊敬する大学教授の言葉に

「何を書くか」「何をいうか」が大事。

「どう書くか」は、その次の段階のこと。


どう書くか、から始まっている音楽や作品は空虚だということです


たしかにたしかに、例えば人と会話する時でも
自分のことをどんなイメージを持ってもらえるかを考えて喋り方に気をつけるとか
格好つけた表現を選ぶだとか
そんなのはすごく空虚です

とにかく伝えたいことを強く具体的に自分の中で持ちなさいよ、そしたらそれだけでいいよ、という話です



でもそうなると、私の演奏は一体何になるのか?と自分に矢が回ってきて


よく「色彩感が足りない」と、演奏を聴いた人から言われることが多いのですが
それはなにも「和声の知識が足りない」又は「弾き方の種類が足りない」と言われてるわけではないのです


おそらく、自分の中で「この作品が表現してるものは何なのか」の部分の想像が足りないことと、
その想像を棚に上げ「精一杯弾きたい!ピアノ弾きたい!本番頑張る!」と自分の精神状態が、音楽の内容より先に空回りしてしまっていること。

たしかに、好きな人に告白するぞ!ってなったとして
好きな人を呼び出しました、すごい気合入ってそうな子が大暴れして走ってます!🏃💨

じゃ
いやいやそれはなんのことよ…❓と
(笑)
しまいには、ゼーゼー息切れしながら「あれ、なんでこの人のこと呼び出したんだっけ、」みたいな。
😅


とにかく、せっかく何かやるなら意識を持ってやったほうが説得力があるし、何よりやってる自分自身も楽しいよ。っていう
当たり前のことを再確認しました。


ドビュッシーとプロコフィエフが、音楽の中でやりたかったこと。
ただでさえ隣にいる人の気持ちを感じ取ることも難しいのに、
もう死んだ人の言葉や気持ちを読むというのはなんというファンタジックな活動…
それを楽しめる人になりたいです。


「もっと作曲家に対して理解を深めなければいけない!」「そんな態度で弾くな!」と日々いろんな場面で自分は責められるような気持ちになるものなので、なんだか辛く
楽しくなくなってきてしまっていましたが…

純粋に楽しみたい…

Pianist 橋本 由羽(ゆうは)

大阪府在住、関西を中心に活動しております、ピアニストの橋本由羽です。 自由に羽ばたくと書いて、「ゆうは」と読みます。 クラシック音楽が専門で、弦楽器とのアンサンブルも得意としております🎻 演奏会の情報から、日々の気づき、共演者さん、生徒さんとのやりとりなど、私らしく楽しいお話を投稿していきます✍️

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