ちょこっと音楽綴り①感情に溺れるな
先日、わたしの共演者さんが「ブラームスの🎻コンチェルトは聴いてたい」と言っていたのはほんまに気持ちがわかって。
それを、わたし的には
こう表現したいけれど難しい部分でそこではテクニックの精度を上げる練習に専念しなくてはならない、当日の演奏でも、美しいところにはいっても本番の緊張感の中で綱渡りを続けなくてはならない、ということに思ったのですが🤔
それにちょっと似たことが。。
ミミさんのアリア
ここで何を言ってるのか?とかストーリーのなかのどういうシーンだったのかを思い出したり一つ一つの歌詞→フレーズとの連携をみていたら、危うく感動したり辛くなってしまって
それは聴く人の気持ちやねん🫱と頭ではわかるんやけども
こんな美しすぎるのは感情に来てまうやん…😞プッチーニずるいやん😞と頭を抱える。
でも私の師匠がレッスンで言っていたのは、
「自分たち奏者は『この美しい宝石をなんとしても美しいまま王様に届ける、ちょっとしたことで落としたりしたら傷になっちゃうから、そうならないように常に目はしっかり開けて、常に明晰でいる!』弾くってそんな感覚よ!」
…と!!!
それがまっすぐとしっくりと来ました。
好きということで目の前が真っ暗になるのは、勿体無いし聴く人にはなんの得も無い、と改めて思ったのでした✍️
恋も似てるかしら。盲目の時はうまく相手のことを見られていないかもね。
でもやっぱり自分の心なのに真っ暗であることはつらいことだから、こんなにも芸術の題材になるのね。
それにしてもプッチーニは美しいね。。
ちょこっと音楽綴り②は何書こう😙
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