7月27日ピアノトリオコンサート♪曲目解説

ご来場下さりありがとうございます♪
「プログラムノート」「曲目解説」となるとつい難しい言葉やちゃんとした言葉を目指してしまい…
気楽に読んでもらおう&気楽に書こう!という気持ちからこのページで解説をしていきたいと思います。

帰宅してからの思い出しにも使っていただけたら嬉しいです☺️

モーツァルト: 

ピアノ三重奏曲ト長調 k564


1788年、32歳の頃に作曲されたピアノ三重奏曲です。彼の6つのピアノ三重奏のなかでは最後の作品です。
大作である弦楽三重奏曲k563や、生涯最後の3つの交響曲が直前に作られました。
とんでもなく複雑(でありながら端正な…さすが)なこれらと比べると、k564のピアノ三重奏曲は「うそ?」というくらい単純な作りで、耳に優しいです。
逆に言えば、必要最低限の音のみで作ろうとした彼なりのチャレンジかもしれませんね。

モーツァルトは若い頃にもいくつかのピアノ三重奏曲を残しましたが、ピアノがメイン!弦楽器はその伴奏…という形態が主でした。
ザルツブルクを離れウィーンに定住した後のピアノトリオ(k496,k502,k542,k548,k564)は、当時のクラヴィーア(ピアノの先祖みたいな楽器です)の発展や、モーツァルト自身の研究もあり、ヴァイオリン・チェロ・ピアノの3つの楽器が平等な役割を与えられるようになりました。
音楽の過渡期に位置する作品だと思うと、「どのパートを聴いてみようかな」と聴き方も変わりそうですね!


ロンベルク:

 《フィガロの結婚》の主題による変奏曲

モーツァルトの傑作オペラ《フィガロの結婚》より第3曲目のアリア「Se vuol ballare Signor Contino(伯爵が踊りになりたければ)」の主題を使って、チェロとヴァイオリンの二重奏曲にした作品。
元々のこのアリアに至るストーリーを解説しますと…
伯爵家に使える家来の"フィガロ"は、伯爵夫人に使える女中"スザンナ"と結婚式当日を迎えていました。
結婚を機に伯爵から新しい部屋をもらうこととなり、「伯爵の部屋に近い、仕事に便利な部屋をもらえてよかったな〜!」とフィガロがのんきでいると、スザンナはぴしゃりと言います。「伯爵は私と寝ることを狙って、自分の部屋の近くにしたのよ」と。フィガロはそれを聴き憤慨して、伯爵の思い通りにはさせないぞ!!と意気込む歌です。
「踊りになりたい(調子に乗りたい、俺の女と寝たい)などと言うならば」
という歌詞を三拍子の舞曲調で書かれているのは、他でもなくフィガロの伯爵に対する「嫌味」ですね。
時に、ヴァイオリンは女性、チェロは男性 に例えられることがありますが、
この二重奏もまるでフィガロとスザンナの陽気な会話のように、"音の会話"が繰り広げられます。
伯爵の企み、決して好きにはさせないぞ〜という皮肉を込めた気持ちの中に、
一抹の不安を感じる短調の表情もあり、
少しフィガロに嫉妬させてやろうというスザンナのお茶目な性格あり、
やっぱり会話を仲良く楽しむシーンあり。
ヴァイオリンとチェロというとってもシンプルな編成かつ、コンパクトな演奏時間でありながら、
演劇の世界に連れて行ってくれる1曲です✨
参考までに、元のアリアの歌詞は以下の通りです。
「踊りになりたければ伯爵様、
(わたしが)ギターを演奏しましょう。
もし来られるならば、私の授業で宙返りを教えましょう。
(私はやってやるぞ…いや、待て、落ち着こう)
全ての謎を解き明かすには知らない振りで明るみにした方がいいな!
巧みに隠して機転を利かせここでは突き刺し、あそこでからかう
すべての計画をひっくり返してやろう。
踊りになりたければ伯爵様
小さなギターを演奏しましょう。」


アーノルド・ベックリン(1827〜1901)作
《死の島》

ラフマニノフはベックリンの作品を題材に、いくつかの曲を作曲しています。

S.ラフマニノフ:

ピアノ三重奏曲第2番《悲しみの三重奏曲》

作品9

セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(1873-1943)が1893年に作曲した、2作品目のピアノ三重奏曲。
1893年11月6日に逝去したチャイコフスキーの訃報を聞いてから、わずか1ヶ月余りの12月15日に完成されました。
ロシアの作曲家たちが故人を偲んで室内楽曲を書くという流れは、チャイコフスキー作曲の『偉大な芸術家の思い出』により始まった。親友の音楽家 ニコライ・ルビンシテインの死に寄せて、書いたものです。
アレンスキー、ラフマニノフ、ショスタコーヴィチ、シュニトケがそれに続いて作曲しました。
ところでラフマニノフがクラシック音楽史上でも最も優れたピアニストの1人であったことは、既知の事実です。
この作品のピアノパートもピアノ協奏曲を思わせるほどの音数の多さで、後世のピアニストを苦しめます。
「こんなテクニック的にも難しい楽曲を君たちは弾きこなせるのか?」
「これは伴奏ではないぞ?」
とどの室内楽作品に触れても、半ば挑発的な文章が聞こえてくるのですが、実際に彼がそう思っていたかはさておき・・・
モスクワ音楽院に在籍し、厳格なピアノ教師ニコライ・ズヴェーレフのもとへ寄宿し、ピアノ演奏の技術を確かに蓄えていったラフマニノフ。
18歳の卒業試験では大金メダルを獲得、非常に優秀な成績で卒業しました。
ただピアノ以外には興味を持つな!という厳しいズヴェーレフの言葉により、
反発的に作曲活動への意欲を高めたラフマニノフは、作曲においても優れた作品を残し始めます。
ピアノ協奏曲第1番、わずか数日で書いてしまったというオペラ《アレコ》などがこの時期に書かれ、
今回の《悲しみの三重奏曲》も、このラフマニノフが若きエネルギーを燃やしている頃の作品です。
くり返される半音階の旋律、
「葬送行進曲」のリズムを思わせるメロディが印象的に配置されます。
ラフマニノフのよく使う題材としての「鐘」の音色は、作品を通して随所にピアノパートに現れます。
第2楽章では、これも大切な要素である「合唱(コラール)」のような響きが使われ、
ここには平和や追悼の意味が込められているのかもしれません。
第3楽章はそれらの「祈り」は儚く自然の脅威に散り、激しい曲想に引きずり込まれます。
まるで発狂しているかのような弦楽器の旋律と、戦争を伝える打楽器の音、轟のようなピアノパートが交差します。
最後には冒頭のメロディがまた現れ、静かに曲を閉じます。

ピアニストの筆者としては、「これ以上ピアノパート豪華にするとさすがに、相手がヴァイオリンチェロ2本ではムリ(倒してしまう)」な
"ピアノ三重奏曲の限界値"を感じる音響がミソだったりもします。
どうぞ50分間、まるで短編映画を1本観るような気持ちでお楽しみください。

Pianist 橋本 由羽(ゆうは)

大阪府在住、関西を中心に活動しております、ピアニストの橋本由羽です。 自由に羽ばたくと書いて、「ゆうは」と読みます。 クラシック音楽が専門で、弦楽器とのアンサンブルも得意としております🎻 演奏会の情報から、日々の気づき、共演者さん、生徒さんとのやりとりなど、私らしく楽しいお話を投稿していきます✍️

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